知識欲を高めよう
人間には様々な欲求があります。
特に、ある事柄について知りたい、ということがモチベーションとなる知的欲求を満たすことは、人生にとって非常に有意義なものとなるでしょう。
学校では教えてくれない事が、社会生活をする上ではたくさん出てくることへの対応にも、役立つことでしょう。
学校という教育現場では、読み書き等の基礎学力と社会生活を行う上で必要なコミュニケーションなどを学びます。
あくまでも基本的なことだけです。
教科書レベルの応用などは、実生活では役に立たないという見方をするのではなく、基礎があれは、それを応用して役立てるという練習と見ることができます。
物の見方や考え方の訓練をする場でもありますよね。
さて、知識欲が刺激されるきっかけとしては、職業を知るということがあげられます。
サラリーマンではなく、士業や公務員等、その職業に就くためには専門知識が必要であり、逆に言えば、この専門知識を得ることなしには目標を達成することはできません。
実現のために知識を習得するということですね。
最難関の国家資格である司法試験は、法学部進学が少なくとも最低条件のひとつになるでしょう。
受験資格に法学部を卒業すること、という約束ごとがあるのかどうかは不明ですが、王道ではあると思います。
その他、税務会計分野のスペシャリストになるには、難関試験を突破して、資格を認定してもらわなければなりません。
誰よりも知りたいという気持ちがあれば、可能性は開かれるでしょう。
知識と経験
「知っている」ことと「分かっている」ことって、同じようで実は全然違うものだと思う。
知識としてその情報を持っているのが「知っている」で、知識として情報を持っていて経験もした事がありのが「分かっている」ことだと思う。
テレビやネット、本からいろんな情報を知る事ができるようになった分、経験として「それ」を体験する事はあまりない。だから会話の中でも「~らしいね」と言う言葉をよく聞く。
知識としてそれは知っているけど、経験はないから「~らしい」になる。
情報社会の今の日本には「~らしい」が溢れていると思う。
自分から知ろうとしなくても、電車に乗れば駅や車内にはいろいろな広告や雑誌の中吊り。
電車内にモニターでニュースを流している電車もある。
都内に住んでいて、電車通勤をしていた時は電車に乗るだけでとにかく沢山の情報が入って来ていた。
それがその時は普通だったし、特に苦痛でもなかった。
余り電車に乗らなくなった今、久しぶりに電車に乗ると情報量の多さに辟易する。
都心を走る電車は、電車の窓から見える風景にもたくさんの広告看板がある。
駅に停車しても、その駅にも定期的に新しくなる広告看板。
全く欲しいと思っていない情報がどんどん目に飛び込んできて、「~らしい」の知識ばかりが増えていく。
広告看板から興味を持って、自分で調べて実行して経験した事もあるけど、情報量に比べたら数はそう多くはない。
「知っている」ことを増やすもの大切だけど、「っていて、更に分かっているのが理想的だと思う。
そう考えると「知っている」だけで分かった気になっていることってかなり多くある事に気づく。
自分の知っていることと分かっていることを見直してみるいい機会かもしれない。