デジスコアって

デジスコアのことを少し調べてみました。
いろいろな曲を譜面表示できる機能で、最近では演奏に間違いがないかをチェックする機能がついていて、ゲーム感覚でトレーニングできます。

子ども達が試しにトレーニングに挑戦してみたのですが、二人ともなかなかクリアできず、最後にはムキになっていました。
電子ピアノに内臓している曲や市販のミュージックデータ、はたまた自分で録音した曲までもが、液晶画面に表示されます。

譜面表示もコード表示や指番号表示など、さまざまな表示形式が可能ですし、譜面と鍵盤とメトロノームの同時表示もできます。
その他、伴奏つきの内臓曲やミュージックデータと一緒に弾くこともできます。

実際に弾いてみると、まるでアンサンブルのような演奏が楽しめます。
これはちょっと上手く聴こえるので、自分の演奏に酔いしれることができるかもしれません。

デジスコアの普及で楽譜が売れなくなるのでは?
と心配もされましたが、ピアノ派の方にとって楽譜は必須アイテムですから、そう影響はないようです。
時代はどんどん進んでいることを実感しました。

ただ音楽に触れることは感性を育てる意味でも、幼いころから関わっていたものですよね。
何かを表現することの難しさやパワーなども含めて、創造力を養うことは非常に良い事だと思うのです。
歌が上手いとか演奏が素晴らしいとか、その下地は皆一緒のはずです。

ピアノの思い出

私の趣味はピアノである。
そういうと、何だかとても上手そうに聞こえるかもしれないが、事実は非なり。
決して上手くはないのである。
あくまで趣味、自分の弾きたい音を出せるように、それだけでこつこつ弾いているにすぎない。

けれども、昔とった杵柄と言おうか、音感だけは大人になっても変わらない、それだけは本当によかったと思っている。
その他には、楽譜が読めることくらいだろうか、胸をはって自慢できるのは。
それでも、昔は何となくで楽譜を読んでいたにすぎない。
楽器というのは何にしてもそうだが、ただ楽譜を本のように流すわけにはいかない。
楽譜を読みながらその音一つ一つを解釈するために頭も使い、指先の感覚にも気を配りながら、実際聞こえてくる音にも耳を澄ます。
そんな全身をフルに使うのが楽器を演奏するということだと思う。
けれども子供の頃の私は、まるで左から右に流すように楽譜の音符を読みながら、ただ機械的にその音を指先でたたき出す、という一連の流れをしていたにすぎなかったと思う。
先生が横でいちいち教えてくれていたためになんとか形になっていたが、音を解釈しながら身体で覚えこむ、ということがどうもおざなりになっていたようだ。
そのために、私は発表会やコンクールで毎回ヘマをした。
練習の時は楽譜を見るのは自由だが、発表会やコンクールでは、楽譜を使用してはいけなかった。
コンサートで何曲も演奏するプロだって楽譜をみていないのだから、たかが一曲二曲を弾くくらいだったら見ないで覚えるのは然して難しいことではない。
普通なら。
私は楽譜しか見ていないで(それも何となく)、その譜面のビジョンに、私の指先がたたき出す音を合わせて覚えていたという、普通と逆のパターンで身体をつくっていたので、本番に楽譜がないと急にビジョンがなくなってしまうのだ。
なんとなくこういう視界のときにはこの音だったな、と感覚的に覚えていたので、それが取り払われたときに何も分からなくなってしまった。
それでも繰り返し繰り返し練習をしていたので、ある程度は指が覚えていてくれ、危なっかしいながらも途中までは弾けるのだ。
けれど一瞬でも疑問に思った音が出てしまったらもう大変だ。
そのあとにどんな音が続いたか、頭の中が真っ白になってしまう。
それで、本番中に手が止まるのだ。
その恐怖は、いうなればプレゼンに資料を忘れた、というのと同じくらい。
結局かろうじて覚えているのは、ぐらぐらする頭の中ででたらめな音を繋ぎながら、なんとか知っている音を手探りで探し出し辿り着いた、というかすかな思い出だ。
言ってみれば、ある音ない音弾いたのである。
今思い出しても本当に冷や汗をかくくらい、恐ろしい思い出である。
やはり「なんとなく」というのは人生の大敵なのだろう。

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